「羽田大鳥居のたたり」都市伝説

羽田空港

羽田空港は今では日本・アジアのハブ空港として大きく拡張された。以前までは主に国内線の便しか飛んでいなかったが、今では多くの国際線が飛び交うように進化を遂げた空港だ。しかし、羽田空港の拡張工事には「羽田大鳥居のたたり」といういわくつきの都市伝説がついて回っていた。

米軍が羽田空港を拡張する際、予定地には羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町という三つの町があり、約1200世帯・約3,000の人々が暮らしていた。しかし、1945年の強制立ち退きにより48時間以内にこの3000人の人たちは住み慣れた家をでなければいけなくなった。そして、ひとつだけぽつんと残った「羽田大鳥居」をそのまま残しておくわけにはいかず、撤去の計画が持ちあがった。

1962年にはターミナルビルの拡張工事が計画され、羽田大鳥居の撤去計画が浮上したが、計画実施直前の1966年に立て続けに事故が起こり、中止となった。2月4日には羽田空港に着陸失敗した飛行機が東京湾に墜落。133人が死亡する事故が起こった。そして3月4日には香港発の羽田経由バンクーバー行きの便が羽田で着陸に失敗64名の死亡者を出した。しかも信じられないことにその翌日3月5日には羽田空港を離陸した英国海外航空機が富士山付近で乱気流に巻き込まれて空中分解してしまい。乗客124人全員が亡くなってしまう。

羽田大鳥居の撤去が持ち上がってすぐにこれだけ事故が立て続いたために結局撤去は中心になる。

だが、撤去計画は時を経て、再浮上する。1981年。「第4次空港整備5か年計画」が閣議決定された。その中で当然、羽田大鳥居の撤去は必須とされた。そして翌年2月9日に日航機羽田沖墜落事故が発生する。乗客24名がなくなる大事故となる。1984年頃から拡張工事はスピード感を増していくのだが、その矢先1985年には日本の航空史上、最悪と言われる大事故が起こってしまう。羽田発大阪・伊丹行きの日航機が群馬・御巣鷹山の尾根に墜落し、乗客乗員524名中520人の命が失われた「日航ジャンボ機墜落事故」である。

最終的に1999年には羽田大鳥居は空港から800メートルほど離れた場所に移転された。

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