2014年7月25日に放映された「やりすぎ都市伝説」から都市伝説をご紹介するこのコーナー。
徳川家の最後の将軍といえば、みな「徳川慶喜」と答えるはずだ。大政奉還で徳川幕府から明治政府へ実権を返し、徳川幕府の国家統治は終わったはずだった。しかし、徳川家には本来次の将軍になるはずだった、徳川家達という人物がいた。
徳川家達は家系図的には15代将軍、つまり徳川家最後の将軍になるはずだったのだが、15代将軍就任のタイミングでまだ3歳だった事で徳川慶喜に15代徳川将軍の座を明け渡す事になってしまった。
そして、徳川幕府は大政奉還をして、明治政府の統治時代がくる。日本の近代化である。
最初のチャンス東京市長
徳川家はその後、静岡の方へ移るが貴族として扱われていたので、徳川家達には逆転のチャンスがあった。歴史に名を残したい徳川家達は虎視眈々とチャンスが訪れるのを待っていた。そして来た最初のチャンスが東京市長のポストであった。
再び江戸=東京を徳川が統治できる!
東京市の初市長を決めることになった時に徳川家達は内定寸前まで進んだという。ほぼ市長確定。その時、「徳川家は今、表に出るべきでない」と横やりが入った。「徳川が政治の世界に戻るなら、それは国家統治でなければいけない」。そう言ったのは勝海舟であったという。勝海舟から言われたその言葉で徳川家達は市長就任をあきらめた。
第二のチャンス総理大臣
徳川家達は市長をあきらめて数十年がたった後も歴史の表舞台に舞い戻り、歴史に名を残す事を意識していた。そんな中、山本権兵衛内閣がスキャンダルで解散となった。徳川家達に一世一代のチャンスが訪れた「総理大臣」である。天皇陛下から家柄や実績が良いという事で徳川家達に総理大臣のオファーが来たのである。
日本の統治に再び徳川が舞い戻れる!
しかし、ここでも横やりが入る。徳川一族からの反対である。「徳川は江戸幕府で一度失敗している、これ以上失敗が続くと家の名が汚れる」というネガティブな意見で徳川家達はまたもや、泣く泣くチャンスをつぶされてしまったという。
第三のチャンス東京オリンピック組織委員長
もう、チャンスはこないのか・・・。と思っていた徳川家達の元に最後のチャンスが訪れた。それは「東京オリンピック委員長」である。しかし、これもつぶされる事になる東京オリンピックが中止になったのだ。
良く知られている東京オリンピックは1969年。実はその29年前の1940年に東京オリンピックが計画されていたのである。初のアジアでのオリンピックとなるはずだった東京オリンピックが中止になった理由とは日中戦争の開戦である。その後、日本は第二次世界大戦へと進む事となる。
そしてついに徳川家達は歴史に名を残す事なく、この世を去ってしまった。都市伝説のブログに掲載してしまって良いのだろうかという話だがやりすぎ都市伝説で紹介されていたお話だったのでご紹介しました。